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2013年12月27日

ムヒカ大統領の演説をよんで

シェアでご覧になった方も多いかと思いますが
私も友人のフェイスブックのシェアで
よんでみて「最近、なんとなくそんなことを考えていたなぁ」
読みました。

ロハスに通じる、興味深い内容です

「世界で最も貧乏な大統領」と
言われているウルグアイ(南アメリカに位置する共和国)の
ムヒカ大統領
2012年の地球サミットで語った
衝撃のスピーチ。

ということでシェアされていました。

私の「うんうん、なるほどです」と思ったところ
太字で表現しておきます。
(転載はOKということでコピー&ペーストしています)


【ムヒカ大統領のスピーチ】

会場にお越しの政府や代表の
みなさま、ありがとうございます。
ここに招待いただいたブラジルと
ディルマ・ルセフ大統領に感謝
いたします。
私の前に、ここに立って演説した
快きプレゼンテーターのみなさまにも
感謝いたします。

国を代表する者同士、人類が必要で
あろう国同士の決議を議決しなければ
ならない素直な志をここで表現して
いるのだと思います。


しかし、頭の中にある厳しい
疑問を声に出させてください。

午後からずっと話されていたことは
" 持続可能な発展と世界の貧困を
 なくすこと " でした。

私たちの本音は何なのでしょうか?
現在の裕福な国々の発展と消費
モデルを真似することでしょうか?

質問をさせてください。

ドイツ人が一世帯で持つ車と
同じ数の車をインド人が持てば
この惑星はどうなるのでしょうか。
息するための酸素がどれくらい
残るのでしょうか。


同じ質問を別の言い方ですると、
西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な
消費を世界の70億~80億人の人が
できるほどの原料がこの地球に
あるのでしょうか?

可能ですか?

それとも別の議論をしなければ
ならないのでしょうか?
なぜ私たちはこのような社会を
作ってしまったのですか?

マーケットエコノミーの子供、
資本主義の子供たち、
即ち私たちが間違いなくこの
無限の消費と発展を求める社会を
作って来たのです。

マーケット経済がマーケット
社会を造り、このグローバリ
ゼーションが世界のあちこちまで
原料を探し求める社会にしたのでは
ないでしょうか。

私たちがグローバリゼーションを
コントロールしていますか?
あるいはグローバリゼーションが
私たちをコントロールしているの
ではないでしょうか?


このような残酷な競争で成り立つ
消費主義社会で
「みんなの世界を良くしていこう」
というような共存共栄な議論は
できるのでしょうか?


どこまでが仲間で

どこからがライバルなのですか?


このようなことを言うのは
このイベントの重要性を批判
するためのものではありません。

その逆です。我々の前に立つ巨大な
危機問題は環境危機ではありません、
政治的な危機問題なのです。

現代に至っては、人類が作った
この大きな勢力をコントロール
しきれていません。
逆に、人類がこの消費社会に
コントロールされているのです。


私たちは発展するために生まれて
きているわけではありません。

幸せになるためにこの地球に
やってきたのです。


人生は短いし、すぐ目の前を
過ぎてしまいます。
命よりも高価なものは存在しません。

ハイパー消費が世界を壊しているの
にも関わらず、高価な商品やライフ
スタイルのために人生を放り出して
いるのです。

消費が社会のモーターの世界では
私たちは消費をひたすら早く多く
しなくてはなりません。

消費が止まれば経済が麻痺し、
経済が麻痺すれば不況のお化けが
みんなの前に現れるのです。

このハイパー消費を続けるためには
商品の寿命を縮め、できるだけ多く
売らなければなりません。

ということは、


"10万時間持つ電球を作れるのに、
1000時間しか持たない電球しか
売ってはいけない社会" 



にいるのです!

そんな長く持つ電球は
マーケットに良くないので
作ってはいけないのです。

人がもっと働くため、もっと売る
ために「使い捨ての社会」を
続けなければならないのです。


悪循環の中にいるのにお気づき
でしょうか。

これはまぎれも無く政治問題ですし、
この問題を別の解決の道に私たち
首脳は世界を導かなければなりません。

石器時代に戻れとは言っていません。
マーケットをまたコントロール
しなければならないと言っているのです。

私の謙虚な考え方では、
これは政治問題です。

昔の賢明な方々、エピクレオ、
セネカやアイマラ民族まで
こんなことを言っています


「 貧乏なひととは、少ししかものを
  持っていない人ではなく、
  無限の欲があり、いくらあっても
  満足しない人のことだ 」


これはこの議論にとって文化的な
キーポイントだと思います。

国の代表者としてリオ会議の決議や
会合をそういう気持ちで参加しています。

私のスピーチの中には耳が
痛くなるような言葉がけっこう
あると思いますが、みなさんには
水源危機と環境危機が問題源で
ないことを分かってほしいのです。

根本的な問題は私たちが実行した
社会モデルなのです。

そして、改めて見直さなければ
ならないのは私たちの生活
スタイルだということ。



私は環境資源に恵まれている
小さな国の代表です。
私の国には300万人ほどの
国民しかいません。

でも、1300万頭の、
世界でもっとも美味しい牛が
私の国にはあります。

ヤギも800万から1000万頭
ほどいます。

私の国は食べ物の輸出国です。
こんな小さい国なのに領土の
90%が資源豊富なのです。

私の同志である労働者たちは、
8時間労働を成立させるために
戦いました。

そして今では、6時間労働を
獲得した人もいます。

しかしながら、6時間労働に
なった人たちは別の仕事もしており、
結局は以前よりも長時間働いています。

なぜか?

バイク、車、などのリポ払いや
ローンを支払わないといけないのです。

毎月2倍働き、ローンを払って
行ったら、いつの間にか私のような
老人になっているのです。

私と同じく、幸福な人生が目の前を
一瞬で過ぎてしまいます。

そして自分にこんな質問を投げかけます。



"これが人類の運命なのか?"



私の言っていることはとても
シンプルなものですよ。

発展は幸福を阻害するもので
あってはいけないのです。

発展は人類に幸福をもたらす
ものでなくてはなりません。



愛情や人間関係、

子どもを育てること、

友達を持つこと、

そして必要最低限のものを持つこと。


これらをもたらすべきなのです。
幸福が私たちのもっとも大切な
ものだからです。

環境のために戦うのであれば、
人類の幸福こそが環境の一番
大切な要素であるということを
覚えておかなくてはなりません。

ありがとうございました。

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以上

今、シェアされて私の元にこのメッセージが届いた意味を考えてみたいと思いました。



Posted by 岡本真由美 at 18:58│Comments(0)
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